表参道周易塾

Column 睽孤

睽孤

このまま読めば「ケイコ」ですが、「睽(そむ)いて孤(ひとり)なり」と訓読するとわかりやすくなります。

火澤睽という卦に出てくる言葉で、全くの他人ではなく、身近な人、近親者のような人と気持ちが通じない状態を説明する卦に出てくる言葉です。

近しい人であればあるほど、自分の気持ちを分かってくれるだろうという期待値が強いため、かえって孤立しがちで、もめ事や仲たがいが起きやすいともいえ、こじれると

ある程度距離がある人同士より厄介な場合が起きてきます。

誤解、勘違い、錯覚の段階ならまだいいのですが、一度「こうに違いない」と一人だけで一方的に決め込んだり、思い込んでしまうとなかなか元には戻れません。

 

火澤睽でもこの「睽孤」が二回登場するのですが、多少の気持ちのすれ違いがあっても、同じ土壌の中にある相手であるとして、どこかでつながりを信じている場合は、思い切って腹を割って話せば和解すると易経は言っています。

けれど、その段階を通り越して、猜疑心の塊、被害妄想まで行ってしまうとそうはいきません。このような状態を易経では「あちらがまるで泥だらけの汚い豚のような姿のように見え、死体をいっぱいに乗せた荷車を引いてこっちに向かって来るので、あちらの攻撃に備えて矢を射る用意をした」となんとも鬼気迫る表現で描かれています。

 

人は嫌悪感を持つと視野が狭くなり、鼻腔を閉めて、知覚を低下させるのだそうです。逆に恐怖を感じると眼球の動きが早くなり、遠くを見渡せ、鼻腔は広がって呼吸の気息が高まります。

つまり易経が描く猜疑心の塊、被害妄想の世界は短期間に嫌悪感から恐怖感という、臭いものには蓋をする状態から、外部へのアンテナが高くなり次の事態に備えるという、真逆な体の反応が起こる状態、

ストレスフルの極致のような状態です。

私たちの脳は、このように自己コントロールが効かない状態になると、本来あるべき姿ではないものが見えたり、因果関係を倒錯的に知覚してしまうようにできているのだそうです。

夫または妻が浮気をしているかもしれないとか、嫁が自分の財布を取ったかもしれないといった場合は、ありとあらゆる相手の行動がすべて浮気や盗みにつながる証拠として、瞬く間に自分勝手な因果関係がつくられ、自分の直感は正しいという結論になってしまうことは、よくありがちです。

 

最近「ChatGPT」というまるで人間と会話しているような、自然な受け答えができる「生成系AI」が話題に上るようになりました。

人間が質問を入力すると、驚くほど悠長な文章で答えが返ってきます。しかしこの「「ChatGPT」があまりに急速な進化を遂げているため、使う人間社会がそれについていけず、イタリア、スペインでは欧州レベルでの精査が必要であるといい、「AI開発の半年中断」を求めるというような見解を持つ人まで出てきました。

 

この「ChatGPT」は、大量の言語、テキストをもとに、次に来る文章の予測をひたすら繰り返すというシンプルな方法で、ほとんど人が書いたと同じ文章を書く能力を学習します。

ただこの「ChatGPT」は「しれッとウソをつく」ことがあるのだそうです。

例えば人が「東京特許許可局について教えて下さい」と質問すると

「東京特許許可局は、日本国内で特許や実用新案、意匠、商標などの権利を認定し、許可する機関です。特許庁の管轄の下、東京都千代田区霞が関に所在しています。・・・」(日経サイエンス5月号より抜粋)と答えが返ってきます。

もちろん「東京特許許可局は」は早口言葉の一つで、実際には存在しない機関ですし、特許庁と勘違いしていることがわかります。

なぜこんなことが起こるのかというと、「ChatGPT」はデータが少ない質問の場合は少し外れたデータを組み合わせて無理やり回答を作ってしまうし、質問する人の内容にウソが混じっていても、「ChatGPT」は頭ごなしに否定しないで、質問者を尊重してしまうため、質問者に引きずられた回答を作成してしまうことがあるそうです。

いずれ「ChatGPT」はこのような欠点を瞬く間に凌駕して、さらに高度な進化を続けるのでしょうが、今のところの「ChatGPT」はなんとも人間らしい、つい共感を覚えてしまうほどだと思いませんか。まるで自己規制がしっかりできていない人間のようです。

もっとも「ChatGPT」側からみれば、そう見えるだけで私の頭の中は全く違う構造をしていて、単に人間からはそう見えるだけだといわれそうですが。

 

しかしながら、人の認識が低下している場合、「ChatGPT」の場合は進化途中とでもいうのでしょうが、自分勝手な因果関係をつくってしまう危険性は共通するものがあり、想像するとゾクッとするくらい怖い話です。

 

「ChatGPT」の場合は使用する側が、内容を鵜呑みにしない、情報を追加する、他の出力との比較、検索機能の使用で、「「ChatGPT」がつくる危険性はある程度回避できるのだそうですが、人間の場合は、そう簡単にはいきません。

人間の場合は、自分の判断を鵜呑みにせず、他人に相談する、違う角度で眺めてみる、調べるということができない、「睽孤」の状態が先にあるからです。むしろ自分を孤立させないこと、会話をしてくれる人を常に作っておく、「睽孤」にならないように日頃から人間関係を作っておくという予防策の方が人間の場合は優先課題になってしまいます。

 

易経では「矢を打つ準備」をした後どうなったかというと、あちら側は喧嘩をしたいわけではなく、自分に親しみたいと思って来たことがわかり、無事に疑いが晴れ、和合して吉になったと結んでいます。

「ChatGPT」は今後の成長著しく、将来性は無限に開かれていますが、私たち人間の方は、人であるゆえの「心の弱さ」を見つめることを突き付けられます。。けれど

それゆえの人間という存在の有り様もまた「ChatGPT」のお陰で、より鮮明になってくるに違いありません。

 

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