表参道周易塾

Column 酒食に需つ

「需」は「待つ」と同義語ですといわれても、わかったようなわからないような「酒食に需つ」という言葉は、易経の「水天需」という卦に登場します。

 

この「水天需」は、「雨乞いの卦」とも呼ばれ、なかなか降ってこない雨をひたすら待っている卦で、旱魃のような人の力では如何ともしがたい事柄に直面したら、どうやって待ったらいいのかが説かれています。

「酒食に需つ」も、そんな待ち方の一つで、直訳すれば、「困難な問題に直面しても、酒を飲んだり美味しいものを食べて待っていればいい」ということになります。

 

考えてみれば、人は生まれてくる時から死ぬ時まで、何かを待ち続け、あるいは何かを待たせ続けているといってもいいでしょう。

電車を待つとか、合格通知を待つとか、人を待つとか、期限に追われるとか、さまざまな待ち方、待たせ方を経て、人は自分でも気が付かないうちに細やかな行動の選択をしながら、未来が形作られていきます。

時間がたてばいずれ答えが出るような場合や、自分の努力と意志で結論が出るような場合は、待つという行為についてさほど思うことはないのですが、干からびた大地に雨が降るのをじっと待っているように、自分だけではどうしようもないような問題や、ままならない事柄に差し掛かった場合に、どうやって待っていたらいいのか、「時」を相手に待つことを思案したくなってきます。

 

「水天需」が説くところに従うと、「酒食に需つ」は王者が「時」を相手に待つ方法、姿勢だというのです。

なんといっても人の上に立つ器量があるくらいの人なので、美味しい食事を上等の酒ともに味わいつつ、いつ来るかは定かではない時ではあるけれど、余裕しゃくしゃく、虎視眈々ドンピシャリのタイミングを計りながら待っていなさい、と易経には説かれています。申し分のない格好の良さで、誰しもこうありたいと思うでしょう。

けれど、果たしてその心中はそんなに剛毅で優雅なものであるのか、ちょっと心の中を探索したくなってきます。

 

「酒」にしろ「食べ物」にしろ、美味しいものである以上に、心身を緩めて、あるいは心を慰めてくれるまたとないものの象徴です。そんなものを横に置いて待っていろというのですから、その優雅さにはあきれてしまうほどです。

 

けれど、もし心の中をのぞけるとしたら、

「表面は精一杯呑気さを漂わせているけれど、酒を飲み、美味しいものをほおばることで、焦りやストレスをむりやり抑え込んでいる。めいっぱい予想をし、できる限り漏れのない計画は立てたつもりなんだが、どうしても、運頼みという最後の一点だけは消えはしない。身体は栄養が回っているからそんなに気力が衰えることはないが」などとぶつぶつ心の中で呟いているかもしれません。でもそうなるとそんな心配性の人に「酒食に需つ」資格なんかあるのか、などなど、あれこれ想像が膨らんできます。

 

そんな時、ある人からこんな話が飛び込んできました。

 

どこまでも見晴らしの良いそんなに幅も広くない道路の信号機が赤だったそうです。人ひとりがじっと信号待ちをしていました。この場所は信号機が赤であれ、自分の目で左右を確認し車が一台も来なかった場合は、周囲に小学生でもいない限り渉ってしまうような所です。この話をしてくれた人は、じっと赤信号を前に青に変わるのを待っている人に、大した意図もなく、ふと声をかけたそうです。

「なんで、渉らないんですか」

その人はこう答えました。

「青になって渉ることは間違ってはいないわけでしょう。こうやって待っていると、赤なのにサッと渡ってしまうのと比べて少し時間がずれてくるじゃないですか。このずれのせいで何かが変わってくるはずなんですよ。それも楽しみじゃないですか」

聞いた時は最初は変わった事を言う人だとしか思わなかったそうですが、せかせか時間に追われて動き回っているこの世の中で、規則をきちんと守ることで、かえってワンテンポずれた未来を楽しんでいるという発想がすごく面白くなってきたというのです。

 

あの「酒食に需つ」ですら、緊張を上手に避けて待てるという利点はあるけれど、どんなに虎視眈々と待っていても、絶好の機会を万が一ちょっとはずしてしまう可能性がないとはいえません。

けれど、それはそれでかえって面白い未来が見えてくるかもしれない、などとどこかで考えているような余裕も持ち合わせているとしたらどうだろうと、あの話を聞いて考えるようになりました。

 

人は時の流れの中で目の前に現れたことに無自覚に反応してしまうことがほとんどです。

その中で、時の流れを止めたり、逆行することはできないにしても、ドンピシャリのタイミングを計りながらも、もしズレこんだらそのズレ加減も楽しもうと考えているとしたら、これは「時」と戯れることができるいわば「待つことの達人」です。

 

かえって損をするような事態になるかもしれません。敢えて偶然のいたずらを楽しむという発想があれば、どこかクスッと笑える人になれそうです。そうなれば、ドンピシャリを計りながら待つことも素晴らしい力ですが、次の一手に向かう意欲を生む力はむしろこちらの発想が味方になってくれるのでは。そうなればこっちの方が絶対に王者の待ち方に決まっています。

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