Column 素履
素履
見慣れない漢字ですが、「そり」と読みます。
「素」は「ありのまま」とか「そのまんま」「素朴」とかを指し、
「履」は「踏む」で、易経では「人の道を踏む」つまりは
エチケット、お作法、礼儀、ルールとかいうものを丁寧に行うといったような意味合いで用います。要するに、ありのままで欲がなく、つくりのない状態でありながら、きちんと礼儀に叶った行動がとれる状態を「素履」というのだろうと思います。
易経の「天澤履」という卦に出てくる言葉で、この「天澤履」は表向きは虎の後をいかに食われないでついていくかという物語なのですが、裏の意味は人が個人的な環境から自立して、社会や学校、集団といった中で、その道の権威や実力者、上司、中心人物といった立場の人とどう接したらよいかという方法が述べられています。この虎は人を食うくらい獰猛なのに、見識があり後からついていく人がそれなりの態度を示せば、食らうことなく、後についてくることを許容するばかりか、後見すらしてくれるというのです。
易経はさらに、虎側からみて、虎が思わずほほえんでしまうようなキャラクターなら気に入られて食われることはないといいます。
察するに「素履」の人は、見るからに多少の図々しさも愛嬌のうちで、伸び伸びしていて清々しく健康的な魅力があり、その上できちんとした礼儀もとれるという条件を十分兼ね備えている人なのではないかと想像します。
ちなみに、虎にバクっと食われてしまう人は、力もないのに目立ちたがり、知ったかぶり、ルール違反、そして空気を読まない無礼者といわれる人たちで、これはこれで確かに納得がいきます。
病院に薬剤師として勤務されている方がいます。きちんとした方で極めて常識人なのですが、職場の上司とうまくきません。話好きで
威張りんぼの上司は、この方の無口さがどうやらお気に召さず、なにかにつけて横やりを入れてきます。この方もこの上司ともっと雑談でもお世辞でも言えればいいのだとわかっているのですが、もともと無口なのでなかなかそれができないまま、意固地になっていく自分がますます嫌になってしまうといった悪循環を抱えています。
けれど患者さんの孤独な気持ちはとてもよくわかるので、患者さんとのコミュニケーションはとても上手です。
「素履」は「そのまんま」といっても、器用に上の人に愛嬌のある「素履」を発信する力が生まれつき足りない人もいるのです。
「天澤履」を読み進んでいくと、虎側の様子を書き記した箇所も出てきます。リーダーとして決然と皆を引っ張って行くのだけれど、ワンマンで怖い人なので、周囲はイエスマンしか残らず孤独にならないようにと注意書きがありました。
「天澤履」は「礼儀の卦」として知られています。「礼儀」とはいったい誰のためにあるのでしょう。易経は上下の関係に重きが置かれる書物なので、どうしても目上の人に対しての礼儀が語られてしまうのですが、目下の人ばかりが必要なものではないようです。
特に昨今では、むしろ年長者、管理者などのわきまえのなさを問われる事件が多くなったように思います。
自分の「好き嫌い」を返上、もしくは内面にしまい込んで、目の前にいる相手に橋を架けていく、相手の存在を自分の生活圏に意味あるものとして入れ込みますという態度表明が、欲得なしに、素直に表現できることが「素履」の本質だと私は思うのです。