Column 満月
古代では「太陽」と「月」は、遥か彼方の天空にあって、人類を多岐にわたって支配する存在であったのに、最近では月面にベースキャンプを置き、さらに遠くの宇宙まで探査しようとする「アルテミス計画」などという話を聞くと、一種不思議な渦のようなものに囚われてしまうのは私だけでしょうか。
易経では「月幾望」といって「月が限りなく満月に近い」ことを表現した言葉が出てきます。「月幾望」という言葉は月相を指した天文用語のようなものだったと思われますが、ほかの月相に関する言葉は一切出てきません。
この「月幾望」は、一つは一生懸命子育てをし、家政を切り盛りしてきた女性が徐々にかかあ天下になり、夫をないがしろにしそうな状態を戒める言葉として登場します。もう一つは政略結婚で、身分の下の男性に嫁いでいく女性が、自分の身分を鼻にかけない徳を讃えた言葉として出てきます。
この二つから見ると易経では「満月」になることは、充実・完成・一番を表す表現としては使われていないことがわかります。満月は月相のなかで最も明るく一晩中夜を照らしてくれるのですから、古代の人にとっては貴重でありがたい存在だったと思われるのですが、どうしてなのでしょうか。
「満月」の夜は「龍」がでるという言い伝えがあります。「龍」は陽の一番強い動物です。たぶん「満月」は形も同じ丸で、「太陽」に並ぶものだというのが易経的見方なのでしょう。陰が陽と同じものになっては陰は陰でなくなり、争うことになるというのが、易経のお決り事なのですから、「満月」になることはあまり好ましいことではないことになります。
また易経では、太陽が火のグループに入り、月は水のグループに入ります。火は上に燃え上がり、水は下に流れる性質があるところからも、どうやら月は上昇志向のシンボルではなさそうです。
「満月」なる直前の寸止めが良いのだという易経は、人の陥る危うさをよくわかった上で、人の慢心や欲望を戒め、完成したとたんに始まる下降を見つめ、創業より守成の困難さを思い、それにもあらかじめ備えることが肝要と、言い残したいのだと思うのです。